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土曜牛乳、飢餓訓練、裸足教育… それが僕たちの青春だった。                                          平成25年1月2日 あまかんにて行われる 朝日小・朝日中同窓会(S52・53生)実行委員たちの活動日誌。

2012年12月05日

トキメキ朝日用語「輪内音頭」

朝日校区は「輪内地区」と呼ばれていて
輪内音頭という音頭がある。
小学生の頃は運動会のときに
その音頭に合わせて踊りを踊っていた。

(1番)
へいわゆにかわてぃ
輪内村々に
おどりごとばかり
これから先や
ほらこれから先や

(2番)
せっちは水車…以下続く

「平和な世の中になって
輪内の村々には
楽しいことばかり
これからは、これからはずっとね(てへぺろ)」

なんて意味なのかどうかは
うろ覚えの歌詞なので定かではないけど
まあこんな感じの音頭がございまして
これを運動会の午前中最後のプログラム
小学1年生のくす玉割り競争の前に踊るわけです。

昼飯前、お腹ぺこぺこの僕たちは島のブルースをバックに
全校生徒で八月踊りよろしく入場し
校庭に大きな輪をつくります。
陣形が整ったらいよいよ輪内音頭演舞。
防災無線よりけたたましい、音割れまくりの
爆音で輪内音頭が始まります。
この音頭がまさかの5番まであるわけで
踊っても踊ってもなかなか終わらない。
お蔭様で空腹の絶頂、テンションダダ下がり。
まさに第二の飢餓訓練の様相を呈すわけです。


どうです、手前の男子たちのやる気のない顔。
まだ島のブルースのイントロが始まったばかりだというのに
すでにこの状態です。
これでは輪内の村々に楽しいことなど訪れません。

こうしてなんとか踊り終えると
いよいよ一年生たちのくす玉割り競争が始まり
「ひるめし」の文字が出てきたら
めでたく午前中の部しゅーりょーとなるわけです。


ちなみに輪内音頭は今も運動会で踊られているようです。
そういや今年は台風通過直後に朝日小が無謀にも
大運動会を決行したようで、台風の片づけや
校庭のぬかるみなどもあったでしょうが
なんとか無事成功した様子。

「やればできる朝日の子」
さすがは我が母校。
  

Posted by ださお at 12:41Comments(2)トキメキ朝日用語

2012年11月30日

トキメキ朝日用語番外編「おはようおじさん」

その男はある朝突然やってきた。

「お? お、おはようございます」

「おはよう、おはよう、おはようおじさん!」

「…おじさんだぁれ?」

「おはよう、おはよう、おはようおじさん!」

幼・小・中とエスカレーター式で進級する
名門、朝日中学校の格式高い上品な校門の前。

荷物をこれでもかと積んだ糸満ナンバーのバイクに跨り
両手に持ったポンポン(チアリーダーが持ってるようなやつ)
を振りながら、真っ黒に日焼けした
ずんぐりむっくりの男はそう答えた。

中学2、3年にもなればそれなりの判断力はある。

怪しい…、怪しすぎる…。

おおかた南国の直射日光にアタマをやられて
脳ミソが耳から溶け出た可哀そうなおじさんが
その辺からフラリとやってきたのだろうと
あと数分もすれば家族がやってきて
「おとうさん、トイレはこっちじゃないでしょ」
とかいいながら連れていかれるのだろうと
そんな風に思っていたけど、いっこうに家族は現れない。

休み時間に皆でおじさんを囲んで話を聞くと
なんでも、仕事を辞めて沖縄からやってきたというそのおじさんは
挨拶をしながらバイクで全国を回り有名になりたいのだとか。


優しい表情だったけど
彼の眼は本気(マジ)だった(どーん!)。


人柄はとても良さそうだ。
言うことにも嘘はない。

彼は人気者になった。

お昼にあいさつすると

「こんにちは、こんにちは、おはようおじさん!」

うーん、そこは変わらないのか。
なんかスッキリしないけど、まあ固有名詞だもんね。

そうこうしているうちにおじさんは活動の場を
山羊島トンネル→名瀬市内へと移し
いつしかいなくなった。
あれから20年余…。

すっかりその存在など忘れていたけど
今年になって新たな情報が入った。
どうやら彼は健在らしい。
沖縄で、いまもポンポンを持って活動しているようだ。
一部では「ポンポンおじさん」の名で親しまれているとのこと。

Fecebook情報によれば20年前に脱サラし、現在70歳。
ということは、僕たちがおはようおじさんに出会ったのは
おはようおじさんがおはようおじさんとして活動し始めてすぐだったってこと?
デビュー当時は50歳ぐらい?

うーん、写真でみる限り見た目ちっとも変わらん。

それにしても初志貫徹してそれなりに有名にもなった
おはようおじさん。
その行動力と存在感には感心します。
どうかお元気で。

  

Posted by ださお at 03:26Comments(2)トキメキ朝日用語

2012年11月12日

トキメキ朝日用語「ペラボール」

朝日校区ではゴム製の野球ボール
(よくスーパーや駄菓子屋に100円くらいで売ってるやつ)
のことを「ペラボール」と呼んでいた。

後で知ったけど、他では「ビラボール」とか「ベラボール」とかいうらしい。


いやいや、僕たちは幼・小・中とエスカレーター式で進学する
「奄美の学習院」こと《優秀かつ上品な》朝日の生徒ですよ。

ビラボールなんてビラビラした卑猥な呼び方や
ベラボールなんて妖怪人間じみた呼び方が
できるわけないじゃないですか。
(反論求ムw)

ペラペラのゴムボールだから
ペラボールでいいんです!
(本当の語源は知りません)


という訳で僕たち男子は毎週半ドンの午後に
ペラボール野球大会をしていた。

皆、学校から《奄美の田園調布と呼ばれる高級住宅街に》
帰って《上品に》食事を済ませるとすぐに
自作の竹バット(竹に絶縁テープをぐるぐる巻いたもの)を
自転車のサドルの後に、ペラボールをタイヤのスポークにはさんで
仲勝公園に集まってた。

毎週集まる顔ぶれは同じだし
やってることも大して変わらないんだけど
いつもいつも楽しかったなあ。

時はプロ野球全盛期。
それぞれ好きな球団のキャップ被ったりしてね。
我が学年屈指のギャガー、K・トールが
杉浦や八重樫のバッティングフォームを真似してたっけ。


他の学校でもやっぱり同じように楽しんでいたのかな。
エピソードなどあれば教えてください。


ところで、デッパ野球軍団って解散したの?












  

Posted by ださお at 18:04Comments(0)トキメキ朝日用語

2012年11月09日

トキメキ朝日用語「ヨフタ川・三角池・朝日の森」

すっかり涼しくなり、サンマが美味しい季節となりましたが
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

管理人のださおです。

9月17日にちょっとした集まりがあったので
その様子を写真付きでアップしようしようと思っていたら
だいぶ経ってしまいました。

いずれアップします。
ごめんなさい。

さて、今回はトキメキ朝日用語

「ヨフタ川・三角池・朝日の森」


朝日小学校は僕たちにとって
結構遊ぶ場所が多かった。

まずは「ヨフタ川」

校内の横を流れる川。
朝日幼稚園の裏を通って、体育館の横から校門前を流れていく。
校歌にも登場する。

昼休みによくここでタナガ取りをした。
今にして思えばハブなんかが流れてきても
全然おかしくないけど、当時の僕らはおかまいなし。

プールの水もここから取ってるなんて噂もあって
そういや確かにプールの注水口からタナガが出てきたのを覚えてる。


「三角池」

学校の上部にある人工の池。
ここでも水遊びをしていた。
ヨフタ川の水が流れてくる。

ときどき大きなナメクジとかも
流れてきてたっけ。

池と言っても、とっても浅く
いったい何のために作られたかは不明。


「朝日の森」

朝日幼稚園の裏あたりから山を登るとあらわれる
森、というより広場?

馬が描かれた石碑がある。
当時小学生だったため、なんの石碑かは解読不能。
草ボーボーのためハブに注意。


とまあこんな感じで
今回はちょっと懐かしいスポットを紹介してみた。

ネタ切れ?

ええ、まあ(笑)



ところでまったくの余談だけど
僕の記憶が確かならば2年生か3年生の頃
僕らの学年屈指のギャガー、K・トールが
三角池の方から血相変えてやってきた。

どうしたのかと尋ねたところ驚愕の一言。

「ち、ちんちんが落ちてる!」

「!!!!!!!!!!」


一同騒然となり、皆でわらわらと見に行った覚えがある。
どんなだったか詳しく覚えてないけど
確かにそれっぽいものが落ちていて
「確かにちんちんが落ちている」
「あれはちんちんだ」
と、とてつもない事件性を含んだ結論に達したものの
特に捜査されるでもなくいつの間にか忘れ去られてしまった。

当時、校内外で股から血を流して歩いてる人も見かけなかったし
その後死体が発掘されたとか
校内をちんちんを求めて彷徨う霊の姿とかも目撃されていないので
今となっては全てが謎のまま。

いったい僕たちはあのとき何を見たんだろう?

この話は朝日小の七不思議として今も語り継がれている、かどうかは
さだかではない。



えーっと、なんの話でしたっけ?



  

Posted by ださお at 12:52Comments(3)トキメキ朝日用語

2012年10月31日

トキメキ朝日用語「飢餓訓練」

僕ら、S校長時代の朝日小学校に通った者として
忘れてはならないのが「飢餓訓練」

「え?なに?きが…??」

「飢餓訓練」

「きがくんれん?」

「そう、き・が・く・ん・れ・ん!」

飲み会で小学校の給食とかの話になったとき
「あ、うちの学校、飢餓訓練あったよ。」
と口にした瞬間、100%みんなが食いつく魔法のことば。

他校の出身者には「飢餓訓練」なるものが
どういうものか想像ができないみたい。
そりゃそうだ。だって飢餓訓練だもの。

年に一度くらいの頻度だったと思う。
学校の給食がおにぎり2コだけの日があった。
その日は家でおやつも食うなと指導されたっけ。
それが飢餓訓練。

僕の記憶では同じ飢餓訓練でも最初は
おにぎりも無かったような気がするけどどうだろう?
後々おにぎり2コになったような…。
ちょっと記憶が曖昧です。

まあ、一日ひもじい思いをすることで、
日ごろ当たり前のように食事ができることに感謝しましょう、と。
戦中、戦後間もない頃は食べるものも無くて大変だったんだよ、と。
そんな感じで感謝の気持ちと少しばかりのハングリー精神を
養おうという程度のものだったんだろうけど
いかんせん名前が仰々しいよね。
「飢餓訓練」だもん。

まず、画数多すぎ。
聖飢魔Ⅱぐらいはイってると思う。
学校行事のランクでいっても字ヅラでみたら絶対に

避難訓練<宿泊訓練<飢餓訓練

だよね。

それになにより響きが若干、軍国主義。
男塾とか戸塚でやってそう。
(あくまでイメージです)

それにしても戦後40年も経っていたというのに
裸足を強要され、飢餓訓練でひもじい思いをする
小学生なんて、いったい何時の時代の話なんだか。

まあ、当の僕たちは、あまり気にせず楽しく過ごしていたけど。

もしかしたら今やる方が効果あるかもしれないね。
いつ災害が起きて、食べる物がなくなるかもしれないご時世。
日ごろの食生活に感謝し、多少の飢えにも耐えなければいけません。

今の子どもたちにわかるかな。

  

Posted by ださお at 12:06Comments(0)トキメキ朝日用語

2012年09月26日

トキメキ朝日用語「続・ゴキブリジャージ」

管理人のださおです。

前回のゴキブリジャージの記事を掲載するにあたり
朝日中の卒業生でなくともイメージできるようにと
写真が残っていないか探したのですが
残念ながらうちにはありませんでした。

あまりに恥ずいジャージだから
写真にすら記録されていないのかと
さすがはゴキブリジャージだぜと
驚くとともに嘆いておりましたところ
実家にて一枚だけ発見されましたので
掲載したいと思います。


中学2年、修学旅行中の船内での写真です(平成3年ごろ)。

当時の朝日中学校は冬用の青い長袖トレーナーもあったので
皆それを上に着ていますね。

一番右端のク…ケンリョウ君が羽織っているのが
ゴキブリジャージの上着です。

その隣、右から2番目が僕です。
僕もジャージの下を履いていますね。

この写真から20年以上かぁ…。









はぁ…





おっと、いけない。

えーっと…こんなジャージだとイメージした上で

前の記事を読んでいただけると幸いです。




  

Posted by ださお at 01:11Comments(0)トキメキ朝日用語

2012年09月21日

トキメキ朝日用語「ゴキブリジャージ」

「ゴキブリジャージ」

黒地にオレンジのラインが入った
朝日中学校指定ジャージの通称。
略して「ゴキジャー」と呼ぶ。

当時の朝日中学校の指定ジャージは
ストレートのズボンで土踏まずのところに
輪っかが付いていて
上着は襟付きのやつだった。
芸人のテツ&トモとか、古くは
「とんねるずのみなさんのおかげです」で
ノリ男が着けていたようなデザインのジャージだ。
色は黒地にオレンジのライン。

80年代~90年代のバブル真只中の時代にあって
それは時代錯誤も甚だしい、化石レベルの代物だった。
だって、MCハマーがあの横歩きダンスを披露してた頃だよ?
肩パットは標準装備、くるぶし丈のボンタンみたいなズボンが主流の時代だ。
タックのついてないズボンなんて信じらんなーい!
ジャージだって、スソにリブとチャックがついたしぼりジャージが
ナウなヤングのマストアイテムさ。

そのためか時代遅れの指定ジャージは
ゴキブリジャージと呼ばれ迫害を受けた。
誰が名づけたか知らないが
みんなが呼んでるゴキブリジャージ。
身に着けるものに「ゴキブリ」と名付けるくらいだから
相当な嫌われようだ。
黒とオレンジのカラーリングが
ゴキブリ感を醸し出していたかといえば
そんな気がしなくもないけど
そもそも「ゴキブリ感」ってなんだろう?

そんなゴキジャーを着けるのを恥ずかしがって
みんな土踏まずの輪っかを引きちぎり
スソをギュッとしてからロールアップし
あたかも最初からスソが絞られたジャージかのように
着用する技術を身につけていた(図参照)。
制服センターで補整する子もいたっけ。


ゴキブリジャージのスソを絞る方法の図


そんな嫌われ者のゴキブリジャージは
毎年、生徒総会でも変更を求めて議題にあがり
ついに僕たちのときにデザイン変更が決定された。
といっても、新ジャージ採用は新年度から。
僕らが卒業した後だった。

僕らの卒業後、ゴキブリジャージはその役目を静かに終え
スソの絞られた新しいジャージが
学校指定のものになった。
民主主義が勝った瞬間だ。

ところが、ファッションというものは常に変わるもので
程なくして古着ブームと共に70年代リバイバルがやってきた。

アディダスやナイキ、オニツカタイガーなどの
古いジャージがもてはやされ
スニーカーも蛍光色のハイテクなヤツから
ローテクの復刻版が好まれるようになった。

そして当時の雰囲気をそのままに残すゴキブリジャージは
いつの間にか、誰もが羨むチョーカッコイイジャージに
なってしまっていた。

当然、後輩たちはだっさい絞りジャージなどには目もくれず
卒業生たちのカッコイイゴキブリジャージに飛びついた。
お兄ちゃんやお姉ちゃんのお下がりを持っている子は羨ましがられ
そうでない子は先輩たちに頼み込んで譲ってもらった。
かくいう僕のゴキジャーも後輩が貰っていったのでもう残っていない。

こうして時代に翻弄されたゴキブリジャージは姿を消した。
まるで画家が死んだあとに名声を得るかのようにして。

KANIジャージなんて目じゃない
超レアアイテム、伝説のゴキブリジャージ。
持っている方はぜひご一報を。

  

Posted by ださお at 12:45Comments(4)トキメキ朝日用語

2012年09月19日

トキメキ朝日用語「裸足教育」

当時の朝日小学校を語る上で外せないのが「裸足教育」。
裸足健康法ということなんだろうけど
なぜそんなことになったのか、細かい経緯はわからない。
とにかく僕たちはいつも登校したらまず、靴箱にくつと靴下を入れ裸足になった。
下校まで靴ははかない。
それが学校の「きまり」だったから。

裸足で出入りすれば校舎内も土で汚れるわけで
各教室・校舎の入り口には「足洗い場」なるものが備え付けられていて
休み時間が終わるとみんなそこで足を洗って教室に入っていた。

常に裸足だから当然危険はつきもの。
休み時間に遊んでいて、木製の側溝の蓋(すのこみたいなやつ)を踏み破いて
足の裏に釘が刺さるなんてことや
校庭で石につまずいて生爪剥がすなんてことは日常茶飯事だった。

そういう僕も5年生か6年生のときに尖った石を踏んづけて
土踏まずに穴が開いたことがあるよ。
「土踏まず」っていうぐらいだから
地面に当たらないし平気だろうと思っていたら大間違い。
痛くて全然歩けなかったよ。

探偵ごっこ(警泥とも言う)のときは
体育館のそばの小さな倉庫の屋根が牢屋になっていて
助けがくると皆いっせいに屋根から
コンクリート敷きの地面に飛び降りて逃げてたなあ。
結構高さもあったのにね。
ロードレースの練習で校外を走るときも裸足だったから
道路の白線部分が一番痛くも熱くもない、なんてことも知ってるんだな。

トイレだって急いでいるときは裸足のまま駆け込んでたよ。
当時はまだいわゆるボットン便所だったけどね(テヘペロ)

今思えばなかなかやるなあ。
もしも今、裸足でう○こやナメクジ踏んづけたら発狂しちゃうよね。


そんなこんなで僕たちたくましく育ちました。
来年36歳、歳の祝いを迎えます。
  

Posted by ださお at 17:47Comments(1)トキメキ朝日用語

2012年09月05日

トキメキ朝日用語「土曜牛乳」

ださおです。

僕たちが小学生のころはまだ土曜日にも授業があった。
午前中のみの、いわゆる半ドンってやつだ。

朝日小学校ではこの土曜日の2時間目の休み時間を利用して
牛乳を飲む「土曜牛乳」という行事があった。

いつもはキンキンに冷えている牛乳も
なぜかこの日ばかりはイマイチぬるくて
そのせいか「その週の給食で余った牛乳を処分するためだ」
なんて噂もあったけど、真意の程は定かじゃない。
ただ、精神的苦痛を訴える者も多少いたことは確かだ。

僕たちにしてみれば、市内のどこの小学校でもやってるもんだと
思っていたけど、どうやら違ったらしい。

そんな土曜牛乳もいつまで続いたのかは記憶にない。


そういや牛乳で思い出したけど
小学4年のときに、上O田君って子が転校してきた。
出席番号が近かったせいか上O田君とは席が隣になった。
給食の時間中、彼は隣の僕の顔を見るなり
飲んでいた牛乳を鼻から噴出した。

僕の顔が面白かったらしい。

僕はといえば、へぇ、本当に鼻から牛乳ってあるんだと
妙に感心しながらも
「僕、真顔だったのになあ」
と少なからず心にダメージを負ったのを覚えている。

上O田君元気かなぁ。





  

Posted by ださお at 17:57Comments(4)トキメキ朝日用語